三上弥生(仮名)(15歳)
父親は、単身赴任で、母親と2人で暮らしている。弥生は、言葉遣いが、男っぽく、自分勝手で、わがままで、子どもっぽい性格であった。母親は、専業主婦である。弥生は、テレビは、アニメしか見ず、特にプリキュアは、毎週、録画していて、1日に何度も見ている。掃除、洗濯、料理は大嫌いでまったくやらない。弥生は、小4からまったく、学校に通わなくなった。母親に対しては、「死ね」とか、「クソババー」とひどい言葉を言うことがある。女優になりたいが、タレント養成スクールなどには通いたがらない。ホームページでは、タレントスクールを見ているようである。アルバイトなども、絶対にしたがらないし、通信高校などにも通いたがらない。コスプレに興味があり、コスプレできる店なら働くという。14歳から親が将来のことを話すと、リストカットを繰り返すようになり、救急車で運ばれたこともあった。単身赴任の父親は、週末のみ、帰ってくる。父親が帰ってきたときに精神不安定の娘にたまりかねて精神病院に連れて行こうとしたが、「私は、おかしくない」と拒否を繰り返した。札幌で安川雅史のカウンセリング講座がある事を母親は知り、「是非、参加したいが、どのようにすれば、主人も一緒に連れて行くことが出来るだろうか?」と全国webカウンセリング協議会に母親から電話がかかってきた。
頑固な父親を説得する為には、まずは、相手を立てなければならないので、「今度、カウンセリング講座があるんだけど、弥生のこともあるから、今回だけでいいから、一緒に行ってくれない?」「あなたが、やっぱり頼りだから。あなたも仕事で疲れているから、本当は、私1人で行けばいいんだけど、あなたが一緒に行ってくれたら、安心だし心強いから。今回だけ、お願い」と言う様に父親にお願いするように提案した。母親は、早速、その日の夜、単身赴任のご主人に電話をいれた。今までは、講座とか、講演会に誘っても、面倒だから、必ず「お前一人で行け」と言われていたが、今回は、快く、一緒に行くことを了承してくれた。カウンセリング講座が終了後、父親、母親がそろって安川雅史の個別カウンセリングの申し込みに来た。母親のカウンセリングは、週1回、父親のカウンセリングは、月1回でやっていった。父親は、警察官で、かなり厳しい人で、母親が、何を言っても全く受け入れず、自分の考えを押し通す人であったが、安川のカウンセリングを受けていくなかで、母親の考えも受け入れ、弥生のことも、少しずつ、理解できるようになっていった。母親は、38歳だが、顔色が、黒ずみ、皮膚に張りがなく、自律神経失調症の人によくある特徴がでていた。また、「朝がつらい」「だるい」「肩がこる」「不眠」の症状もでていた。御主人が奥さんと子どもを理解し耳を傾けるようになり、ストレスが少しずつなくなっていき、不安や恐れのマイナスの感情をプラスに変えていくことにより、症状は、消えていった。顔は血色がよく、つやがもっどった。母親の精神状態も安定し明るくなり、毎週末、父親が、帰って来たときも、弥生にやさしく理解ある態度で接するようになり、弥生の精神状態も安定し、母親に対して、ひどい言葉使いをしなくなった。今までは、すべて、悪循環だったのが、父親が変わり、母親の精神状態も安定したことで、明らかに、弥生の精神状態もよくなり、明るくなってきた。母親が、買い物に行くときも、ついてくるようになり、外出の機会も増えてきた。母親もパートの仕事をはじめ、弥生も週2回、パソコンスクールに通うようになった。
カウンセリング事例
全国ICTカウンセラー協会
安川雅史
田端公平(仮名)(17歳)高校1年の2学期あたりから、公平はお金をたかられるようになり、クラスの中でもいじめの標的になっていた。高校2年の1学期には集団暴行にあい、全治2ヶ月の入院をし、それ以来学校に通わなくなる。公平は、人付き合いが苦手で、一人でいることが、多かった。対人恐怖がひどく夜も寝むれず、家にこもり、一日中、ネットゲームをし、パソコンにはまっていた。また、ネットで何十万もするものを親のカードを使い勝手に買い物していた。通信高校に編入したが、やはり、通えない日が続いている。ひとつ下に弟がいるが、兄弟は仲がいい。父親は、精神科の医院長である。公平は、将来、心理学か、福祉の方向に進みたいという希望を持っている。家の中では、気に入らないことがあるとあばれ、手がつけられない状態になることもあった。包丁を振り回してあばれた事もある。
全国webカウンセリング協議会に夫婦で相談に来て、その翌日から安川が父親と母親のカウンセリングをそれぞれ、時間を分けてやっていった。夫婦関係は悪く、いつも喧嘩が絶えなかったが、安川がカウンセリングを続けていく中で、お互いのことを認め合い家の中が落ち着いていった。夫婦で、テレビ番組を見て、笑っている時など、公平もよく居間に顔を出すようになってきた。休みの日などは、父親と隣町のバッティングセンターやボウリング場に行くようになってきた。親も学校の話題やお金の話題、将来の話題を避け、公平が好きな、サッカーの話題や芸能の話題をするように心がけた。父親や母親もサッカーの月刊誌や、スポーツ新聞に目を通すようになり、公平との会話が膨らむようになってきた。また、公平に笑顔も戻ってきた。お小遣いは、毎月25日に1万を渡すことにした。(以前は、決まったお小遣いは渡していなかった。)これにより、公平が、黙って親のカードを使って買い物をすることはなくなった。
親は自分が頑張っていると思っていても、知らず、知らずのうちに、夫婦間のずれやみぞができ、お互いに理解してもらえないことへの不満や苛立ちを生じることがある。夫婦は、どんなに忙しく、あわただしくても、お互いに、「いたわり」と「ねぎらい」「おもいやり」の気持ちを失わないことが大切で、子どもの心に安心感を与えていく、最大の栄養となる。
全国ICTカウンセラー協会では、様々な子どもの相談にのっています。不安なことがあれば相談してください。
松浦明菜(仮名)(15歳)
明菜は、中1から学校を休みはじめ、中3からほとんど学校に通わなくなった。中1から心療内科に通い、不安を和らげる薬と睡眠薬などをずっと処方してもらっていたが、どんな薬を飲んでも具合が悪くなるだけで、まったく効果がでなかった。学校に行った時は、友達には明るく振舞っていたが、友達と話すのも面倒くさいと思っていた。明菜は、リストカットを繰り返し、中3の後半で進路決定が迫られてくると、余計に精神状態が不安定になり睡眠薬を多量に飲んで服毒自殺を図った。明菜の父と母は、よく夫婦喧嘩をして、母もよく泣いていた。また、母親は過干渉がひどく、夫婦関係がうまくいっていない分、明菜にべったりの生活をずっとおくっていた。今でも、明菜と一緒にお風呂に入り、明菜と一緒に寝る生活をおくっている。
カウンセリングは親のカウンセリングから始めたが、過干渉をやめ、子どもの要求を笑顔で受け入れるようになった。夫婦喧嘩もなくなり、夫婦間で笑いが出るようになった。明菜の精神状態は、だんだん良くなり明菜もカウンセリングを受けたいと言い出した。明菜は、ほとんど話をしないが、興味があることは話にのってきた。2回目のカウンセリングが終わった後で、突然、明菜は、右腕のセーターをまくりあげた。明菜の右腕には、大きなほくろがあった。これが学校に行きたくない原因のひとつだった。体育の時間などで半そでになると、まわりの女の子からは、「それどうしたの?」とか「何かついてるよ」と言われ、男の子からは、「気持ち悪い」と言われていたのだ。本来であれば、親に相談すればいいことなのだが、親が相談できない雰囲気を作っていたのだろう。後日、親と一緒に皮膚科に行ってほくろはとってもらった。明菜は、その日以来、学校に通えるようになった。
カウンセリング事例②
全国ICTカウンセラー協会
安川雅史
桜井勝也(仮名)32歳
勝也は、高校生になり友人関係で悩み、2年から不登校が続き、何とか3年に進級できたが、3年になっても、まわりのクラスメイトから、どう思われているのかが気になり結局不登校が続いた。学校側の配慮もあり、進級会議の結果、補習を受けて卒業することが出来た。大学受験はしたが、受験した3校すべて不合格になり、予備校に通い始めたものの通学したのは、最初の2ヶ月のみで、その後、ずっと部屋にこもりがちになり、外にも出なくなった。家の中では、暴れることが多くなり、ちょっとしたことで、母親に暴力を振るうようになった。食事も親と一緒に食べなくなり、1日の大半を自分の部屋で、パソコンをして過ごしていた。父親が、そのことを注意すると、今度は、父親に暴力を振るい、父親は子どもに蹴飛ばされ、足の骨にひびが入ってしまった。お風呂にもほとんど、入らなくなり、部屋で、ぶつぶつ独り言を言うことが多くなった。1年過ぎ、2年過ぎ、とうとう勝也がひきこもってから14年がたった。親の精神状態もおかしくなり、夫婦間の会話もなくなった。勝也は、一生ひきこもるのではないかという、一種のあきらめが、夫婦間に芽生えていた。勝也には、2歳上の姉がいるが、14年前に家を出て以来、実家に遊びにくることも、電話をかけてくることもなくなった。父親は、会社役員で、仕事上の付き合いが多く、勝也の面倒は、勝也が生まれたころから、ずっと母親まかせだった。母親は、かなりの過干渉で、つい余計な口出しをして勝也を怒らせた。勝也の父母がカウンセリングに来てから、少しずつ勝也に変化が出てきた。夫婦間で、会話と笑顔が戻ってから、勝也が、居間に顔を見せる回数が、みるみる増えてきた。また、勝也を見ても、刺激することを言わないようにし、笑顔でいつも接するように心がけた。食事の時も1度だけ「ご飯だよ」と呼びかけ、降りてこないときは、手紙をそえて、冷蔵庫に入れておくようにした。それを繰り返すうちに、ご飯の時は、ほとんど一緒に食卓につくようになった。勝也が親に話しかけてくることは、極端に増えた。特に母親とは、毎日のように話をしたが、母親は、いつも「余計な一言を言わないように心がけた。」14年間という長い凍結期間は過ぎた。勝也は、ネットで、宅急便の荷造りの仕事を見つけ、働き始めた。
カウンセリング事例③
全国ICTカウンセラー協会
安川雅史
18歳・大学浪人・女子・青木敏江(仮名)
敏江は、母親と弟の3人家族である。父親とは、12年前に死別。弟(14歳)は、勉強もでき、活発な子で、母親にかわいがられている。と敏江は、いつも感じていた。敏江は、中学のときにいじめにあい、一時不登校になった。母は厳しい性格で、母の愛に飢えているところもあった。高校は、隣町の高校に進学したが、また、いじめに合い、学校では、無視された。敏江は、160センチ・74キロで、体格がよく、きつい性格で、誰にでも調子がいいので、嫌われることが多かった。敏江は、不安定になると、リストカットカットを繰り返し、精神病院で薬を処方してもらっていた。敏江は、「多重人格で、5人が私の中に住んでいる」と言っていた。高校は、何とか卒業したが、将来の目標がなく、夜も寝むれず、思い通りの薬を処方してくれない病院にも不満を持ち、ころころ、病院もかわっていった。カウンセリングで何とか治れば。と思い、母親の勧めもあって、カウンセリングを受けに来た。カウンセリングは、母親と敏江のカウンセリングを曜日を分けてやっていった。母親は、仕事に追われ、小さい頃から、あまり、甘えることがなく、良い子であった。敏江から見れば、上手に親に甘えているように見え、うらやましく思えることもあった。敏江は、いつも、自己否定的なところがあり、私は、母親から嫌われているのではないか?と勝手な思い込みをしていた。自己肯定感は、幼少からの親子関係で作られるが、親の無条件の愛情が感じられなかった子は、精神的に不安定になり、自分をコントロールできなくなってしまうのだ。
全国ICTカウンセラー協会関連サイト
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◇問い合わせ先:全国ICTカウンセラー協会
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ネット問題の専門家であるネットいじめの専門家の安川雅史氏と東北大学教授の川島隆太氏の監修によるパンフレット。ネット依存やネットいじめなどの事例によりインターネット利用の危険性を示すとともに次の3つの対策について周知啓発します。